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【速報】シスプリ新シリーズ製作決定!【ウニメ】

1 :名無しさん@3周年:02/06/27 17:07 ID:Apenx0t2
■ゲームとアニメで「シスター・プリンセス」が復活
 堀江由衣や望月久代などが出演した「シスター・プリンセス」が
PlayStation用ゲーム「Syster Princess2」とアニメ化が決定した。
 ゲームは、真夏を舞台にした物語で200枚以上のグラフィックス。
キャラクターボイスや発売日に関しては不明。アニメの方も、テレビかOVA、劇場公開なども不明だ。

ソースはG’sマガジン

877 :名無しさん@3周年:02/07/15 19:43 ID:XR/6hw9g
「韓国人の『反日』台湾人の『親日』」黄文雄 1999年 光文社

韓国人は、もともと日本人と同じように教育水準が高かったと考えている人が多い。
しかし、それは大きな間違いである。日本は、江戸時代からすでに藩校や寺子屋が
かなり発達し、大衆教育が普及していた。

しかし、朝鮮半島は、書堂も学堂も普及していたと思われがちだが、そうではない。
李朝時代には、漢文教育が主流で、ハングルは一顧だにされなかっただけでなく、
禁止されていた。

両班以外の庶民の教育は反対されていた。そもそも漢字漢文は一知半解の文字体系で、
漢学の大家はもっばらその文意の読解に、なぞなぞを解くようにその、生涯の全精力を
費やしていた。ことに両班階級の場合は、わざと漢字を煩雑にして、庶民が読めない
ようにしていた。

漢字が庶民や奴婢にかんたんに読まれたら、権威がなくなり、たまったものではないからだ。
だから儒教文化圏は、韓国にかぎらず、その社会構造が基本的に愚民社会を前提にしている。
科挙のための勉強が中心となり、読み書きできない人びとが多いのが定評である。


878 :名無しさん@3周年:02/07/15 19:44 ID:XR/6hw9g
二十世紀に入ってから、辛亥革命以後の中国では、国民学校教育が提唱されたが、
真っ向から反対するのが文人であった。彼らに言わせると、一般大衆まで教育を
受けたら、農民も労働者も文字が読めるようになり、それこそ「斯文掃地」
(文化が地に捨てて掃いたものとなろう)と、こぞって反対していた。

朝鮮半島の書堂で教えられていたものは、漢字の読み書きだけであった。
ハングルの使用が解禁されてから日は浅く、文章として体系化されていないので、
漢字・ハングル混じりの文字体系を確立するには、百年単位の歳月をかけなければならない。

それだけではない。農民も働き手の子どもが学校にとられるのを極力反対して、
校長が父母を説得するのが大変であった。それは台湾でも同じであった。
今世紀の初めごろ、朝鮮半島のみでなく、台湾でも教育を受けたとみられる
学齢期の児童は数パーセントしかいなかった。

李朝朝鮮は、書院、学堂があったが、教育を受けられるものは、ごく少数でしかなかった。
ことに女性は、小学校に入れただけでもエリート中のエリートであった。
在日朝鮮人一世は、七〜八割が読み書きできなかったことについて、たとえば姜在彦の
『日本による朝鮮支配の40年』(朝日文庫73ページ)でも認められている。




879 :名無しさん@3周年:02/07/15 19:44 ID:XR/6hw9g
教育普及率の数字から比較してみても、日本の開国維新以後の日本、台湾、
朝鮮半島、中国の教育普及の雁行現象は、一目瞭然である。
しかし、日本人が朝鮮で教育を普及させたことを認めたとしても、その教有の
目的は「愚民教育」にあると主張するものも少なくない。

なんと非論理的な、ただの言いがかりであろうか。儒教文化圏の愚民政策社会に
教育を普及させたのは、日本の教育熱であることを忘れてはならない。
それは論理で論じられるものではなく、数字で語られなければならない問題でもある。

朝鮮語は、東北、西北、中都、西南、東方、済州島の六つの大方言区分に分かれ、
李朝時代には、言語的にはけっして統一されてはいなかった。
そこで、朝鮮総督府は、朝鮮語を体系化したのだ。

両班は漢文・漢語を中心に、諺文(おんもん)、諺語を排斥、軽蔑していた。
ソウル語を標準語として、漢字、ハングル混じりの文章を体系化したのは、
統監政治以後の日本人言語学者と教育学者を中心とする専門家の努力によるものだ。


880 :名無しさん@3周年:02/07/15 19:45 ID:XR/6hw9g
 ところが、昭和十二年七月七日の盧溝橋事件に端を発したシナ事変において
 日本軍が中国軍を打ち破り、連戦連勝するようになると、朝鮮民衆の対日感情
 はにわかに好転し始めたのです。二千年前の漢時代から朝鮮を圧迫、支配して
 きた中国軍をいとも簡単に打ち破る日本軍の強さに朝鮮人は驚き、そして、その
 驚きが尊敬に、尊敬は熱烈な愛国(日本への協力)へと変わっていったのです。
 目に見える劇的な変化は、出征軍人の歓送迎でした。
 シナ事変勃発後、七月十二日から多くの兵士が入営出兵を見たのですが、初めの
 うちはその友人知人が日本人、朝鮮人一緒になってこれを送別するという様子で
 したが、北支(満州)へ出動する日本軍の部隊が続々と朝鮮半島を縦断して北上
 するに及び、見ず知らずの人々も町内、村内または一地方挙げて駅まで出てきて
 これを送別するようになったのです。誰誘うとはなしに、駅という駅は国旗の波
 と万歳の声で溢れるようになりました。もともと個人的には親切な人が多い朝鮮
 民族ですから、駅での心のこもった湯茶接待、慰問品の受け渡しばかりではなく、
 出征兵士との間に涙と笑いの交歓が続きました。特に京城駅(現ソウル駅)には
 昭和十二年九月中だけでも実に四十三万余人、一日平均一万四千三百人が詰め掛け
 日本の兵士たちをいたく感動させたといいます。/
 興味深いことは、朝鮮の民衆ばかりではなく、それまで日本に対して冷ややかだっ
 た朝鮮の民族主義者までが手のひらを返したように積極的に愛国運動を始めたこと
 への日本側の戸惑いが、そのパンフレットの端々ににじみ出ていることです。

               「日韓2000年の真実」名越二荒之助 国際企画
                (日本図書館協会選定図書)


881 :名無しさん@3周年:02/07/15 19:45 ID:XR/6hw9g
「韓国とディベートする」 北岡敏明 1996 総合法令

韓国人は、日本が朝鮮戦争で儲け、この戦争のお蔭で経済発展をしたと非難する。
たしかに、日本経済が離陸するきっかけになったことは事実である。
しかし、朝鮮戦争がなくても、遅かれ早かれ、日本はその潜在的な実力からいって
経済発展をしていたのは間違いない。

戦争に負けたとはいえ、あの大戦争を戦うだけのさまざまな設備(インフラ)と
優秀な労働力と技術力をもっていたからである。
当時すでに日本は高い技術力をもった工業国家であった。
そこに朝鮮戦争の特需があったのである。

もし、特需があっても、それに対応できる人と技術とインフラがなければ何の意味もない。
朝鮮戦争における連合軍は、日木という後方の巨大な兵站基地と
生産基地のお蔭で戦争に勝つことができたのである。
朝鮮戦争で儲けたなどという、韓国の嫉妬じみた非難には断固として反論を加えておく必要がある。

韓国人 「日本は、朝鮮戦争でわれわれの犠牲の上に儲け、今日の発展を得た」
日本人 「儲けたというのはどういう意味だ」
韓国人 「朝鮮戦争の特需で経済がうるおったということだ」
日本人 「それがどうした。何か不都合な点でもあるのか」
韓国人 「われわれの犠牲の上に、経済を発展させた、だからよくない」
日本人 「またか、もううんざりだ。箸が転んでも日本のせいにし、
日本を非難したがるどうしようもないワンパターンの手だな」
韓国人 「そんなことはない。日本は朝鮮戦争で儲けたではないか。韓国に感謝しろ」
日本人 「それは逆だ。韓国は日本に感謝しろ」


882 :名無しさん@3周年:02/07/15 19:46 ID:XR/6hw9g
韓国人 「どうして日本に感謝しなけれぱならないのだ」
日本人 「日本がアメリカや連合国の巨大な基地であったから勝てたのだ。
日本は不沈空母だったのだ。アメリカの空軍や海軍や陸軍の基地として日本は機能した。
アメリカ軍は日本から出撃していったのである。
また、兵士の補給や体養の基地、物資の兵站基地、生産基地だった。
日本の役割は大変大きかった。日本がいなかったら朝鮮半島は北に占領されていたぞ。
韓国は日本に感謝しろ」(開戦初期は北朝鮮軍が優勢で韓国軍は釜山まで後退していた)
韓国人 「いやそんなことはない。アメリカ軍とわが韓国軍の奮闘で勝利したのである」
日本人 「アメリカ軍や韓国軍の奮戦を否定してない。ただ、日本が儲けてけしからんなどと
言いががりをつけるから反論しているのだ。
日本を非難するのはとんでもない筋違いな話だと言っているのだ」
韓国人 「そうかもしれないが日本も朝鮮戦争のお蔭で経済が発展したのは事実だろう」
日本人 「それは否定してない。ただ、あなた方は朝鮮戦争で日本だけが得をしたような
ことを言うから、それはおかしいと言っているのだ。
日本は朝鮮戦争で経済発展のきっかけをつかんだのは事実だが、
それ以上に感謝してもらいたいのが、国連軍の崩壊を助け、
勝利に多大な貢献をしたという事実である。
日本なしに朝鮮戦争の勝利はありえなかった」

韓国は、戦争に負けた日本が、戦後もあっという間に復興し経済大国になったのがくやしいという。
日本は朝鮮戦争で儲けたと非難する。自国の発展が遅れたのを日本のせいにしている。
韓国得意の「箸が転んでも日本のせい論」である。
しかし、こういういわれなき非難にはきちんとディベートで反論しておかなけれぱならない。


883 :中国・韓国以外のアジアの日本観:02/07/15 19:47 ID:XR/6hw9g
 今から十五年ほど前、アジア各国の軍部代表がマニラに集ったときのこと
だ。例によって韓国軍の代表が、延々と戦争当時の日本軍と日本民族と現在
の日本企業を罵倒する演説を打った。列席のアジアの親日家たちは「韓国代表
の演説は痛烈無残で聞くに耐えなかった。だが列席の日本の自衛官はひと言も
発しなかった。」 
 そこで、列席していたインドネシアのアリ・ムルトブ准将は韓国の軍人に
向かって次のように日本を擁護した。彼はASEAN結成の仕掛け人である。

<日本はアジアの光である。大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示した
もので、チンギス・ハーンとともにアジア人の誇りである。/ここで、インド
ネシアの日本民族の価値について申し上げる。今、忽然として日本民族がこの
地球上から消えたら、アジアとアフリカは非常に困る。その時に韓国が一番
困ると思う。韓国は工業大国の日本と競争したから、立派な工業国になれたので
ある。近くに強力な競争相手がいることは素晴らしいことだ。/つまり日本の近く
に位置していることは幸運なのだ。経済的支援を連続的に受けているといってよい
くらいだ。インドネシアが日本に近ければ今のような貧弱なインドネシアではない。
 つまり、我々インドネシア人は「日本はなにもしてくれなくてもよい。」と考え
ている。日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分アジア・アフリカに尽くして
いる。
 だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている。日本から援助
をもらうだけで応援しないのでは運命共同体の一員とは言えないし、対等のパートナー
とも言えないのではないか。>

                「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著 国際企画より

884 :冷静な第三者の日韓併合観:02/07/15 19:48 ID:XR/6hw9g
 こうした公式記録を見る限り、なぜ、日本が韓国国民を「奴隷にした」として
非難されるのか理解できない。もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、
アメリカは少なくとも従犯である。日本の韓国での行動はすべて、イギリスの
同盟国として「合法的」に行われたことだ。国際関係の原則にのっとり、当時の
最善の行動基準に従って行われたことである。しかも、その原則は日本がつくった
ものではない。欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。

885 :冷静な第三者の日韓併合観:02/07/15 19:49 ID:XR/6hw9g
 1910年、日本が韓国を併合したのは韓国の新皇帝が「請願」した
からだった。パールハーバー(真珠湾攻撃)以前は、日韓関係について
語る歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を実に細かい
ころまでも几帳面に守っていた、と言ってほめるのだ。トリート教授に
よれば日本は「ひとつひとつの手続きを外交的に正しく積み上げてきた
そして宣言ではなく、条約で、最終的な併合を達成したのである」。
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」
手続きを踏んでいなかった。

             「アメリカの鏡・日本」 ヘレンミアーズ 著

886 :冷静な第三者の日韓併合観:02/07/15 19:49 ID:XR/6hw9g
 日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を
 中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と
 繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定し
 た独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国知識層で
 ある官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異存はないと思われる。

         1894年7月29日 韓国駐在 アメリカ シル代表

887 :冷静な第三者の日韓併合観:02/07/15 19:49 ID:XR/6hw9g
 日露戦争後、アメリカは「事実の論理」を認め、韓国から代表を引き上げた。
韓国皇帝はセオドア・ルーズベルト大統領に訴えたが、大統領は「韓国は自主
統治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を
拒否した。日本によって「その後三年の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの
賞賛を勝ち得るような改善が多く実現された」と書いたアメリカの歴史家も
いるのだ。

          アメリカの鏡・日本  ヘレン・ミアーズ 著


888 :冷静な第三者の日韓併合観:02/07/15 19:49 ID:XR/6hw9g

 日清戦争は日本からみれば、完全な成功だった。西洋列強は喝采し、
 日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した。そして、日本を
 対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王
 は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。

          アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ


889 :冷静な第三者の日韓併合観:02/07/15 19:50 ID:XR/6hw9g
 韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは
 中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。
 
                アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ


890 :冷静な第三者の日韓併合観:02/07/15 19:50 ID:XR/6hw9g
 日本が西欧に認められるうえで、日露戦争は有益な学習だった。文明世界
 は奇妙な小男たちの勇気と闘争心に仰天し興奮した。彼らは民族衣装であ
 るキモノを着ながら、たちまちにして近代戦の技術を習得していたのだ。
 1904年10月4日付けロンドンタイムズの記事が、当時のイギリス人
 の反応を物語っているが、それはほとんどのアメリカ人が感じたことでも
 あった。

                アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ

891 :冷静な第三者の日韓併合観:02/07/15 19:50 ID:XR/6hw9g
 1904年10月4付けロンドンタイムズ紙日本人を絶賛!!

 極東のこの戦争(日清戦争・日露戦争)を取り巻く状況には注目すべき
 ことが多い。中でもとりわけ目立つのは、ミカドの軍隊の勇気と戦いぶり
 である。我々は不本意ながら、日本のすべての人間の行動を支配し動かす
 精神力の存在を認めざるを得ない。この力はいったい何なのか。その存在
 を感じると、妬ましく、落ち着かず、腹立たしくさえある。勇気は西洋に
 とっても珍しいことではない。が、これは単なる勇気ではない。その背後
 にもっと違う何かがある。もし、西洋の軍隊がそれをもっていたら、西洋
 のすべての国の軍旗は絶対に汚されることはなかったであろう。そういう
 何かである。これは何か。これは何か。これは何か。・・・・・

            1904年10月4日 ロンドンタイムズ紙

892 :日本人は先祖も優秀である。:02/07/15 19:51 ID:XR/6hw9g
  「我々ヨーロッパ人は、互いの間では賢く写るが、日本人に比べると
  はなはだ、野蛮であると思う。私は毎日、日本人から教えられることを
  告白しなければならない。私は世界の中で、これほどまで天から才能を
  与えられた民族はないと思う。」

  「京都は、ヨーロッパならローマにあたるが、科学、見識、文明はローマ
  よりはるかに高尚である。信仰さえ別にすれば、我々は日本人よりも
  あきらかに劣っている。」

                 16世紀 イエズス会本部への報告書より
                宣教師 ニエッキ・ソルド・オルガンティーノ

893 :名無しさん@3周年:02/07/15 19:51 ID:XR/6hw9g

日本人は何よりも名誉を重んじ、彼らの大多数は貧しいが、貧困は貴族にとっても
武士にとっても平民にとっても、決して恥ずかしいことでも、不名誉なことでもない。
彼らは「正直さ」のほうを選ぶ。未信心者のなかで、日本人より優れている民族は
いないと思われる。


                   宣教師  フランシスコ・ザビエル

894 :名無しさん@3周年:02/07/15 19:51 ID:XR/6hw9g
日本人の謙虚さとは、そういった歴史に基づいた誇りの積み上げの結果であろうと
思われる。
今の日本の風土や環境を気づきあげた先人たちがいて、我々現代の日本人の繁栄が
あるということを感じることができることは、自然と感謝の情が湧いてくる。

俺は韓国人は好きでも嫌いでもないが、誇るべき歴史、即ち理解できる先人の苦労
というものに触れることができない韓国人に、時に同情したくなる。


895 :教科書:02/07/15 19:52 ID:XR/6hw9g
「韓国・中国歴史教科書を徹底批判する」 勝岡寛次 2001年 小学館文庫

1919年に起こった三・一独立運動を韓国の教科書は、日本軍の残虐さだけを強調して書いている。
だが、事実は「平和的な方法で独立万方歳を唱え示威をする人々」だけではなかったのである。

全国的に及んだこのデモは、地方では暴徒化し、警察署・村役場・小学校等を襲い、
放火,投石・破壊・暴行,惨殺を行って手がつけられないありさまとなったのだった。
日本側は治安出動を強いられたのであって、決して韓国の教科書の言うように、
「無差別虐殺」を行ったのではない。

韓国の教科書の記す犠牲者の数も、問題である三・一運動の犠牲者数は
今も正確なところは不明で、韓国の教科書が依拠したと思われる朴殷植
『朝鮮独立運動の血史』では、死者7509名、負傷者1万5961名と記されている。

しかし、著者の朴殷植は当時亡命していて韓国におらず、この本の中で
「今回の独立運動は…確実な実態調査を得ることは難しい。いわんや、
海外にあって、ただ新聞報道や個人の伝聞的報告によるものだけであってみれぱ、
その事実調査の困難さは推して知るべきであろう」と断っている。

総督府の調査では、死者553名・負傷者1409名であり、韓国側の主張とは10倍以上もの開きがある。
(名越二荒之助『日韓2000年の真実』)
総督府の調査も完全なものとは言えないだろうが、海外にあって「新聞報道や個人の伝聞的報告」
だけで書かれた『朝鮮独立運動の血史』の数字だけを、何の疑いもなく
教科書に褐げるのは公平さを欠く。

しかも、韓国の教科書も本文では2万名と言い、コラムでは3万名以上と言っており、
この事実一つをとっても、いかにいい加滅な数字を並べているかということが明らかである。


896 : :02/07/15 19:53 ID:XR/6hw9g
          大儀の国、日本

 たしかに百済は敗れました。しかし、百済の魂は滅びなかったのです。
再興を志して遺臣軍の指導者であった鬼室福信(中国名に改姓する前の
朝鮮人氏名はかっこいい!)が起ちあがりました。彼は百済再興のために
日本の救援と、在日していた百済の皇太子、余豊璋の帰国を要請してきま
した。
 余豊璋は義慈王の子で欽明天皇の三年、義慈王の命令で渡来し、在日32
年に及んでいました。福信らは王子を戴いて、百済の再興を志したのです。
 斉明天皇は神功皇后以来の長い関係に鑑み、福信らの要請を無視できません
でした。老齢を押して救援を決意され、筑紫(福岡県)まで動座されながら
そこで陣歿されました。時に68歳でした。
 皇太子であった中大兄皇子は、天皇崩御の翌年(662年)5月、豊璋に
最も高い織冠の位を与え、在日していた百済人をはじめ  五千の兵をつけて
百済に送りました。福信は感激して、泣いて感謝したということが「日本書紀」
に出ています。
 そして翌年の3月には上毛野君雅子ら兵二万七千の救援をさし向けました。
朝鮮の史書「三国史記」には、「倭船百艘」とあります。日本は文字通り国家
の総力を挙げて百済援軍にたちあがったのです。その頃日本と百済の間が、
いかに親密であったかが判ります。

        「日韓2000年の真実」名越二荒之助 編著
         (日本図書館連盟選定図書)

897 : :02/07/15 19:53 ID:XR/6hw9g
 わが国の歴史は極端にいうと、同族殺し合いの歴史でした。三韓時代がそうであ
 り、三国時代もそうであり、朝鮮王朝時代における党争も法治の枠を超えたもの
 でした。いつも不安な政情だったのです。誰もが自分を陥れる投書を一通投げこ
 めば、破滅です。どこでだれが自分を陥れるために剣を磨いているか分からない。
 枕を高くして眠ることもできないのです。/日本社会でも上下の階級はあったが
 彼らは下人を使う前に下人の生活は徹底保障してやりました。しかし、わが国で
 は、とくに朝鮮王朝時代には、両斑が常民を保障するどころか、収奪していました。
 壬申倭乱(秀吉公の朝鮮成敗)のとき、倭の側についた叛徒が大変な数にのぼった
 といいますね。王が非難するや叛徒が王城に火をつけ、はなはだしくは王をつかまえ
 て倭将に差し出し、地方官を鞭打って敵陣に引っ張っていった例もありました。/
 解放後の事情にしても、恒心がもてないようになっているじやないですか。強要し
 なければ、互いに共同など思いもよらないのが、今日の現実でしょう。

                     「月刊朝鮮」1982年8月号

898 : :02/07/15 19:53 ID:XR/6hw9g
    韓国は何も「文化」がなかった!韓国近代の祖が告白!!

しかし、我々は海外進出は念頭におかず、せいぜい座ってなわを編んでいただけ
ではなかったか。高麗磁器などがやっと民族文化として残っているのみである。
それも、かろうじて両斑たちの趣味にとどまっているだけであった。しかし、
それも、途中から命脈が切れたのだから嘆かわしいことである。
以上のように、我が民族史を考察してみると情けないという他ない。全体的に
顧みるとただ、あ然とするだけで真っ暗になるばかりである。

 「漢河の奇跡」の立役者  韓国大統領  朴正熙 (元大日本帝国陸軍将校)


899 : :02/07/15 19:54 ID:XR/6hw9g
    
   このv筆者を売国奴というのなら当時の韓国人は皆売国奴ではないか!

 月日がたつにつれ(日本と韓国は)こんなにお互い違ってきたのです。
 食べ物も、言葉も、着物も、名前のつけ方も、これは私たちが支那を
 あまりに崇拝した関係もあるのですが、とにかく悔しくてならないこと
 は、その名前のつけ方まで支那のまねをしたということです。したがっ
 て、創氏改名、つまり朝鮮人が内地人(日本人)流に氏名をつけると
 いうことは自分達の祖先の清風に従うことなんだ。中国の模倣を脱して
 古代の朝鮮に帰ることなんだ。ただ単に太古に帰るのみではなく、今日
 の内地(日本)の一切の風習に向かって、自発的に勇敢に帰還すること
 ことによつて、進んで祖国に栄光をあらしめ、ひいては我らの子孫の易き
 に置くことができる。ならば、創氏改名するに何のためらうことがあるだ
 ろうか。

   「半島風習のその祖国への合理的発展的帰還を論すの言」 金文輯


900 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 19:54 ID:XR/6hw9g
    大東亜戦争を狂ったように賛美した韓国人たち!

 「祖父の代から受け継いできた黄色人種の積憤をいまこそ晴らさなければ
 ならない。一度、決戦する以上、、帝国行路のがんである敵性国家を粉砕し
 新東亜建設に邁進しなければならない。」    


      申興雨 昭和十六年十二月十日 ソウルでの決戦報告大講演会



 「米英の圧迫と屈辱から東亜民族の解放を叫ぶ決戦を開始したのである。
 いまや東亜民族は圧迫と摂取を受けて骨しか残っていないが、今やその骨
 で断固として決起し、仇敵米英を打倒しなければならない。」

                      張徳秀 普成専門学校教授


 「貧欲の牙城、白人帝国主義の張本人英米をいまこそ撃滅せずには、我等
 の子孫の発展を望むことはできない。」

                     李成煥 朝鮮農民運動の指導者


901 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 19:55 ID:XR/6hw9g
        日本人が「ハングル」の読み書きを教えたのだ!
      
李朝時代の韓国は、中国をひたすら崇めて自ら「小中華」と称していることを誇り
としていた。そのため漢文が重んじられ、ハングルは婦人や子供が使う字として
蔑まれていた。ハングルは日韓併合以前は、公文書にも、祝祭祀文にも、全く使われ
ていなかった。韓国人が全員読み書きできるようになったのは、日本統治時代に学校
でハングルを教えたことに始まっているのである。
 総督府が編纂した「朝鮮語辞典」
これは、総督府に朝鮮固有の文化を尊重しようとする明確な方針があったためで、
そのほかにも朝鮮総督府は、明治四十五年に「朝鮮語辞典」に着手したり、大正十年
には「朝鮮語奨励規定」を設けて日本人官吏に朝鮮語の習得を奨励したり、大正十三年
には新設の京城帝国大学(現ソウル大学)に朝鮮語・朝鮮文字の講座を開設したりと、
朝鮮語の教育、普及に対策を講じている。「朝鮮語抹殺」の意図がもし日本にあれば、
総督府が率先してこうした施策を打ち出すはずがないからである。

                「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
                 (日本図書館協会選定図書)

902 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 19:55 ID:XR/6hw9g
   韓国人は皆、日本人名のほうが都合がよかったから改名したのだ!
  

 韓国は創氏改名を問題とするが、進んで改名した人々も多かったのでは
 ないか。
 満州事変の頃は、満州に移住していた朝鮮人が百万ほどいたというが、
 彼らはチャッカリ日本人名に改姓した。それまで朝鮮人は中国人から
 バカにされていたが、改姓して日本人になったので、こんどは威張れる
 ようになった。そういう傾向は日本内地から朝鮮内部にも起こった。
 そこで朝鮮総督府は、昭和十五年二月になって、勝手に日本名を名乗って
 いた人々にも、日本式氏名を名乗る方法を講じてやろうという計らいから
 「六ヶ月以内に届け出た者に限って認める」とした。その結果、届け出た
 者は七九パーセントに達した。

               「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
                (日本図書館協会選定図書)

903 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 19:55 ID:XR/6hw9g
       「強制連行」など起こりようがない!!

 ひと頃、朝鮮人労働者「強制連行」の問題が頻りに取りざたされたが、
 この問題に対する一般の認識には多くの誤解が含まれている。/
 その第一は、終戦時約二百万を超えた朝鮮人労働者の大部分は本人の
 自主的な意志によって渡航してきたもので、「強制的」に「連行」され
 たものではない、ということである。所謂「強制連行」は、大東亜戦争
 勃発に伴う労働力不足を補完するため、戦争中の昭和十七年に、それまで
 自由募集であった朝鮮人労働者を「官斡旋」即ち、朝鮮総督府が募集する
 ことにし、間に立った朝鮮人ブローカーが強引な徴用を行ったことを指して
 言う場合が多いようだが、その実態は甚だ不明である。
 そもそも日韓併合以降、貧しい韓国から豊かな日本へ移住しようとする
 朝鮮人は引きも切らぬ有り様だったのであり、朝鮮総督府や日本政府は法律
 の網の目を潜ってでも日本で働こうとする朝鮮人の密航者には、終始、頭を
 痛めていた。法律を犯してでも日本に入国しようとする朝鮮人が一杯いたと
 いうのに、何で「強制連行」の必要があるのだろうか。その必要はなかったし
 むしろ日本側は迷惑していた。

              「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
               (日本図書館協会選定図書)


904 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 19:56 ID:XR/6hw9g
      朝鮮と内地との移出入貿易について

朝鮮の産業は大正六年頃迄は資本投下の盛んな時代であったので
移出入は入超であったが、爾来出超に転じたのは米の移出が増加
したからであった。
それが昭和四、五年頃は米の値が低落したために一時入超となっ
たことがあり、また昭和八年以後は朝鮮に鉱業(特に金鉱)、電気
事業、化学鉱業等の新規な目論みが多く、之がため内地資本投下
が盛んとなり、その投資は機械、建設材料等の移入となる部分も
多いので、之が貿易を入超に転じせしめたのである。猶お近年は
満州国への再移出のための内地品移入も増大している。

朝鮮の移出の太宗は米で、嘗て米は移出総額の過半を占めたが、
近年は移出総額の三割乃至二割を占めるに過ぎず、他の移出が増
大している。即ち米以外の重要移出品は銅、肥料、水産物、生糸
豆類、タングステン鋼、魚油、繰綿、金鉱などである。
近年朝鮮の金鉱採掘は甚だ盛んで、その精錬に当って生ずる含金
銀粗銅が内地に送られてきたが之も大東亜戦以来幾らか下火とな
っている。
肥料が移出重要品であるのは、朝鮮に大規模な硫安工業があるか
らで、硫安以外に魚類の〆粕の移出も相当に多い。タングステン
鉱の採掘が増しているのは時局柄当然であり、又魚油移出は大部
分は鰮油である。綿花も増産され移出は増している。

次に移入は各種生活用品及び建設資材に亙るが、金額の最も多い
のは衣料品で、其の中で以前は綿織物が圧倒的に多かったが、今
ではスフ、人絹、絹等の織物が多くなっている。

昭和18年版 日本国勢図会 本邦の移出入貿易〔朝鮮〕(P58〜9) 


905 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 19:56 ID:XR/6hw9g
朝鮮も台湾も日本の版図に加わる以前に於ては今日の百分の一程
度の貿易であったが、日本の指導により産業の各方面に急速に開
発が行われ今日の盛大さに達し得たもので、全く隔世の感があり、
為政の方針が確固たるものであれば国民経済が如何に急速に発展
し得るものなのかの実例をここに見るのである。

      昭和18年版 日本国勢図会 本邦の移出入貿易 (P.58)


                   旧仮名、漢字は変更しています。


906 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 19:56 ID:XR/6hw9g
    併合前後の韓国人は日本人に「土民」と呼ばれていた!!
    
    (大正デモクラシーの旗手、吉野作造の見た朝鮮半島)



異民族の統治は、「威圧」だけで成功するものでないことは固より言うを?俟たない。
幸いにして朝鮮政府(朝鮮総督府、もちろん日本の統治機構)は、一方に於いて国家
の威厳を示して居りながら、他方に於いて土民に近代文明の恩沢に浴するの機会を与え
殊に昔の李朝時代に見なかったいろいろの生活上の便宜を供して居る。殖産興業もだん
だん盛んになって居る。交通機関も開けた。殊に道路はどんな田舎に行っても今や立派
に造られて居る。病院も設けられた。その上朝鮮総督府は朝鮮民族の精神的満足並びに
その開発を計る事を怠って居ない。社会公共の秩序は立派に維持されて居る。権利の保障
には土民と内地人(日本人)との区別を立てぬ。比較的公平なる裁判は土民を満足せしめ
て居るようだ。
某朝鮮人は予に、「自分の父祖の代までは、その蓄積せる財産に眼をつけられて故なくして
府の長官から捕縛され、その度毎に多額の身代金を取られたものだが、かくの如き不当の
侵害は今日は全くなくなった。これ全く日本の統治以来のことだ」と言った。
殊に現在の総監寺内伯は、正義の観念の極めて強烈な人で、道に合わないことは秋毫の微と
いえどもこれを仮借しない。しかも、この点について伯は決して土民と内地人とを別たない
といわれて居る。この点は朝鮮人は皆、伯を徳として居るようだ。
かく一方には国家の威力を示し、他方に於いては土民に物質上の満足と及びその発達の機会
を与えて居るのだから、朝鮮民族の同化は十分出来ないまでも、その統治の事業に於いては
決してまごつく訳はない筈である。

        民本主義の提唱者 吉野作造 (大正五年満州と朝鮮半島を視察)

907 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 19:57 ID:XR/6hw9g
      加藤清正に感謝状を贈った朝鮮王子たち!!

(朝鮮成敗で活躍した)加藤清正が北朝鮮の会寧にまで攻め上ったとき、
二人の朝鮮の王子を捕らえたが、礼を尽くして処遇した。
 翌文禄二年、講和談判が開かれるに及んで、秀吉の命令で、両王子を釜山
から首都・京城まで護衛(家臣・九鬼四郎兵衛)をつけて送り還した。両王子
は帰還するにあたって感謝状を清正に贈った。
 この書状は今も紀州徳川家に残っている。清正の娘が徳川頼宣の夫人となった
縁故から同家に伝えられたものである。それを要約すれば次の通りである。
 <壬辰元年七月二十四日に捕らえられてから礼遇され、厚い保護を受け、
 衣服糧食を与えられ、至れり尽くせりの待遇を受けた。このたび関白(秀吉公)
 殿下に上申して釜山から京城まで送り還された。その慈悲は仏のごとくである。
 もし一行のものがこのことを忘れ、後日、日本及び清正公に対し、僅かでも背く
 ようなことがあったら、人情を弁えぬ者であって、天地の神々もこれを知って
 いるであろう。>
 両王子は京城まで送り届けてくれた九鬼四郎兵衛にも感謝状を送り、その厚遇の
恩は永久に忘れない、と述べている。 
 このほか清正は両王子を一時、鍋島直茂に預けておいたことがある。そのため鍋島
氏の歓待を謝した書状が二通、鍋島家にも伝えられている。「神伝慈悲の道を貴官の中
に見る」という文言さえある。

              「日韓2000年の真実」名越二荒之助 編著
               (日本図書館協会選定図書)

908 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 19:59 ID:XR/6hw9g
              「十二月八日」

 「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産
 して母体を損なったが、生まれた子供はすくすく育っている。今日、東南アジア
 の諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
 それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日
 は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心を
 された日である。我々はこの日を忘れてはならない。」

             新聞記者 ククリツト・プラモート(後のタイ国首相)

  *「十二月八日− 日本が米英に宣戦布告した1941年、昭和十六年十二月八日
           大東亜戦争勃発の日(後世、太平洋戦争と呼称されている)  


909 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 19:59 ID:XR/6hw9g
 韓国人は「韓国という国」に絶望して「日本人化」をめざしたのだ!
  

 「数千年にわたる過去の朝鮮史、ことに李朝五百年史だけをとりあげて
 みても、完全な独立の道などは一場の夢に過ぎないことはわが朝鮮自身
 の常識である。いわんや最近五十年の国際状況、特に日増しに険悪の度
 を増すこれからの世界史相を展望するとき、朝鮮が微弱なままに一度
 自立してみようというのは最初から問題にならないのである。
  してみると、今我々に残された唯一の道は、肉体的にも精神的にも
 内地人と同族になって、一切の権利と義務を同一に享受しようとする
 皇国臣民の道である。」

               金文輯 「朝鮮民族の発展的解消論序説」

910 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:00 ID:XR/6hw9g

    祖国を救う為に苦渋の決断、断腸の思いで「日韓併合」
    に踏み切った李完用こそ「韓国救国の英雄」ではないのか!


 「私の生涯は汚辱で終わるのだ。人々は、栄光を度外視して汚辱の生涯
 だけを拡大して伝えるだろう。それは当然なことだ。人生は動機よりも
 残した足跡が大事だから・・・親清派や親露派には無関心の寛容を見せ
 ながら、なぜ親日派だけにそれほど過酷なのか知れない。きっと、結果的
 に国が滅びたからそうなのであろう。私も自主独立だけを絶対値に信じる
 者だ。ただ、その次善の策が親日であっただけだ。なぜ併合条約に前後し
 て、この国の独立主義者たちは私を殺さなかったのか。ひそかに物足りな
 く思う。私はなぜ農民の子に生まれてこなかったのだろう。それが怨めしい!」

            1926年 併合時の韓国首相 李完用 臨終にて

911 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:00 ID:XR/6hw9g
        日本統治全否定のからくり

 戦中派の韓国人の中には、私的な場で「現在の韓国の発展はあの36年
の間の基盤があったからだ」と、日本の統治を評価してくれる人が多い。
ところが、公式の場では絶対に日本統治の「功」の部分を認めようとはしな
い。何故か。
 戦後、朝鮮半島で政権を握ったのは、上海やアメリカに亡命し、反日テロ
を繰り返してきた李承晩グループ(派閥抗争、血の粛清を繰り返してきた)と
ソ連の支援を受けて共産主義イデオロギーに染まった金日成グループであった。
彼らはともに日本統治がいかなるものかという実体験がないまま、日本憎しの
感情に駆られて、日本の統治を「朝鮮人民を奴隷化している」などと観念的に
非難してきた。
 そうした李承晩及び金日成グループが日本敗戦後、それぞれアメリカ及びソ連
を後ろ盾にして、あたかも占領軍のように朝鮮半島に乗り込み、当時朝鮮にいた
民族運動の指導者を排除し、徹底した親日派狩りと言論弾圧を行った。歴史教育
も日本への憎悪感情に燃えたアメリカまたはソ連の歴史観に基づいて行われるよ
うになった。
 このため、少しでも日本統治のよかった面を話そうものなら弾圧され、最悪の
場合、民族の裏切り者として親族までが殺された。
 いわば日本全否定史観をもつ米ソ亡命組が体制権力を握り、その下で、
日本統治を体験した民衆は自らの体験に基づいて自由に発言できなくなってしまっ
たのである。
 そうした構図がいまなお韓国や北朝鮮に続いているが故に「日本統治はすべて
悪かった」という観念的な歴史観が幅をきかせているのではないかと思うが、いかが
だろうか。

              「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著より
                  (日本図書館協会選定図書)


912 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:00 ID:XR/6hw9g
われわれがまず明らかにしなければならないことは、この(日本からの)解放
が盗人のように不意に訪れたということだ。解放後の腹立たしいこと、醜いざま
は一つや二つではないが、その中でもほんとうに腹立たしいのは、この解放を
盗もうとするやつらが多いことだ。彼らは、自分達だけはこのことを早くから
わかっていたと宣伝する。それは彼らが盗人のようにやってきた解放を、さも
自分が送り込んだようにして盗もうとするためである。それは嘘だ。もし彼らが
あらかじめわかっていたなら、それほど先見の明があったなら、どうして八月十四日
までへりくだって服従していたのか。そのときひと言でも予告して民衆を慰め、勇気を
ひきしめさせていたなら、今になってことさら宣伝しなくても民衆は指導者としてお迎
えしただろう。そういうことはやめて素直になろう。君も僕もみな知らなかったのだ。
みんな眠っていたのだ。神社参拝をしろと言われれば腰が折れんばかりに拝み、姓を
改めろといわれると競い合って改め、時局公演といえばありったけの才能を傾け語り、
米英を罵倒し、転向しろといわれば実にアッサリ転向し、よく見られようと聖書も直し
教会も売り、信用が得られるとなると四つん這いになり、犬の鳴き声もしてみせた。
この国の志士、思想家、宗教家、教育者知識人、文人に、また海外流浪何十年と格好は
よいが、その実、互いに博士派、先生派、なになに派、なになに団と、ハワイや
サンフランシスコではアメリカ人の召使をしながら、勢力争いをし、重慶・南京では
とうもろごし粥をもらって食いながら地位争いをしていた人たちが、なにをあらかじめ
わかっていたというのか。思想はなんの思想で、政治はなんの政治運動をしたというのか。
この国が解放されるとあらかじめわかっていた人など一人もいないのだ。

                  「意味から見た韓国史」 咸錫憲

913 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:01 ID:XR/6hw9g
私は解放後の韓国で、悠揚迫らない大人風の紳士に親切に遇せられ、後でその人が、植民地時代には
剛直な反日家だった、と聞いてびっくりするという体験を何度かした。60年代のことである。この人たちは

「日本のおかげで、われわれは今こんなに苦労している」といったことを一言も言わなかった。そんなこと
を言えば、われわれはまだ日本の影響下にある、と告白するみたいなものではないかと、その種の言葉

をみずからに禁じていたのである。そこには腸のねじ切れるような亡国の無念を、新たな出発のテコにし
ようとする強靭な志があり、私は感動した。人間の「格」というものを思わせる体験でもあった。そうした経

験をしたものには、近ごろ喋喋されている歴史論議などに加わる気がしない。敗北にも平然としておれる
人々のおはなしは結構である。私は師事・兄事してきた韓国人と、(その多くはすでに他界されたが)夜空

の星をなかだちとして、はるかに通信できれば十分である。

田中明 「物語 韓国人」


914 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:01 ID:XR/6hw9g
    伊藤博文公を暗殺した安重根を賞賛しなかった当時の韓国人

市川正明編「安重根と日韓関係史」という資料には、二万語に及ぶ(伊藤公の暗殺)
各国の反応が掲載されていますが、その中で外国(サンフランシスコ・ハワイ・ウラジ
オストック等)にある韓字新聞の報道ぶりも伝えています。前年の明治四十三年三月に
サンフランシスコ在住の張仁煥らが韓国政府の外交顧問だったスチーブンスを射殺した
時には、これら韓字新聞は連日にわたって暗殺事件の犯人を賞揚し、激越な論調をみせて
いました。
しかし、伊藤公暗殺については事実を報道しただけでした。/韓国の(今の)教科書のよ
うに「全世界に大韓男児の気性を見せ、日本の大陸侵攻を世界に警告した」ことにはなら
なかったのです。
青少年に愛国心を涵養するため、韓国がこのように記述したことはよく解ります。しかし
テロという手段の持つ反作用についても教えなければならなかったのではないでしょうか。
皮肉にも、伊藤総監暗殺によって日韓併合は一挙に早まってしまったのです。

                  「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
                   (日本図書館協会選定図書)

915 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:01 ID:XR/6hw9g
 「伊藤博文公暗殺」に対するドイツ人の論調

<韓国人が公を暗殺したことは、特に悲しむべきことである。何故かといえ
 ば、公は韓国人の最も良き友であった。日露戦争後、日本が強硬の態度を
以って韓国に臨むや、意外の反抗に逢った。陰謀や日本居留民の殺傷が相次いで
起こった。その時、武断派及び言論機関は、高圧手段に訴うべしと絶叫したが
公ひとり穏和方針を固持して動かなかった。当時、韓国の政治は、徹頭徹尾
腐敗していた。公は時宜に適し、かつ正しい改革によって、韓国人をして日本
統治下に在ることが却って幸福であることを悟らせようとし、六十歳を超えた
高齢で統監という多難の職を引き受けたのである。>

            ドイツ人 エルウィン・ベルツ博士 「伊藤公の追懐」

916 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:01 ID:XR/6hw9g
 「伊藤公暗殺」に対するロシア人の論調

<思えば思うほど情けない限りである。最後の大戦争(日露戦争)以前に
伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争
も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。伊藤公爵のハルピン来訪
目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、
誰もが知っていた。伊藤公は「ロシアは満州から去れ」などという、一点張り
の主張をする人ではない。尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失ばかりで
なく、わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である。>
  
     東清鉄道長官 ホルワット少将 「ハルピン・ウェストニツク紙」

917 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:02 ID:XR/6hw9g
 「伊藤公暗殺」に対する韓国皇帝の論調

<伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義
をもって望み、骨を長白山に埋めて、韓国の文明発達に尽くすと揚言してい
た。日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の
平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害
を加える者があるとすれば、物事の理事を解さない流浪人であろう。>

                十月二十七日   太皇帝(高宗)

<伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。
その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。>
                十月二十八日   太皇帝(高宗)

918 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:02 ID:XR/6hw9g
  「伊藤公暗殺」に対してのイギリス人の論調

<公を泰西の政治家と比較するに、公はビスマルクの如く武断派ではなく、
平和的であったことはむしろ、グラッドストーンに類するところである。
財政の知識が豊富であったことはビールにも比すべく、策略を行うに機敏
かつ大胆であったことは、ビーコンスフィールドに似ている。公はすべての
大政治家の特徴を抜粋して一身に集めた観がある。殊に公は驚くべき先見の
明を有し/要するに四十余年の永きにわたって終始一貫、国家の指導者たる
地位を占めたのは、実に千古の偉観というべきである。>

  「伊藤公の性格」ブリンクリー主筆 イギリス紙「ジャパーン・メール」

919 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:02 ID:XR/6hw9g
 李朝末期の韓国は、暗黒の世界で日本が暗闇を破り、光明をもたらしたのだ。
1890年代から1930年代の間に、日本人が韓国にもたらした革命的な改革
が、どれほどまで絶賛されたことだっただろうか!韓国人が自らの手では、とう
てい、行えなかったことだった。ただ、日本人が外国人であったからいけなかった
のだ。

                「醜い韓国人」 朴泰赫   光文社


920 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:03 ID:XR/6hw9g
日本政府が、朝鮮植民地化を肯定

新渡戸稲造 (植民地主義者)→→→5.000円札
伊藤 博文 (併合反対論者)→→→1.000円札

これは日本国政府が、朝鮮植民地化を肯定することの証左である!!!

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伊藤は、「植民地にする気はない」といって朝鮮人による 朝鮮の統治
を 淡々と説いた。(新渡戸稲造『偉人群像』、実業之日本社、1931年)
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植民論に関する文献調査・研究
http://www.hokudai.ac.jp/letters/project/project96.html

佐藤昌介と東京帝国大学教授【新渡戸稲造】が1910年以後も植民地経営
への卒業生の送出について連絡をとっていること、新渡戸稲造が植民地
の官吏・学者の人事に大きな影響力を持っている史料を見いだした。

新渡戸稲造が韓国統監府へ出張し、植民地経営の急進派(伊藤博文統監を
穏健派と批判する勢力)として運動し、言論活動をしている当時の史料を
見いだした。東京帝国大学の農学者、日本帝国農商務省の高級官僚が、
新渡戸などと同じように韓国に進出し、植民地経営の積極派として同じ
論陣を張っている史料(視察報告など)も発掘した。

921 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:03 ID:XR/6hw9g
<併合前の半島>
1.第一印象、住居等

イザベラ・バード:1894年始めてソウルを訪れたバードはソウルについて次のように述べている。58−60頁

「北京を見るまで私はソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、
紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだと考えていた。
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。
礼節上2階建ての家は建てられず…」

「こういった溝に隣接する家屋は一般に軒の深い藁葺きのあばら屋で、
通りからは泥壁にしか見えず、ときおり屋根のすぐ下に紙をはった小さな窓があって人間の住まいだと言うことが分かる。
又溝から2,3フィートの高さに黒ずんだ煙穴がきまってあり、
これは家の中を暖めるとと言う役目を果たした煙と熱風の吐き出し口である。」

「瓦屋根の反り返った上流階級の家屋でも、通りから見た体裁の悪さと言う点ではなんら変わりがない。」

シャルル・ダレ、住居の項にて:289頁

「貴方はみすぼらしい茅屋というものを見たことがあるでしょう。
では貴方の知っている最も貧しい茅屋を、その美しさと強固さの程度を更に落として想像してみてください。
するとそれがみすぼらしい朝鮮の住まいについての、殆ど正確な姿となるでしょう。」

「2階建ての家は探しても無駄です。そのようなものを朝鮮人は知らないのです」


922 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:03 ID:XR/6hw9g
「朝鮮の宮廷は非常に貧しく、国庫はさらにもっと貧弱です。
宦官やその仲間である国王の妾、宮中の侍女たちは、もし大臣の地位や、
又時には他の幾つかの高官職を売って得る金がなくなれば、きっと打撃を蒙るでしょう。
従って権力の座にあるものは、贈り物を次々と与えては機嫌をとり、
これらすべての貪欲な吸血鬼をいつも満腹にしておかなくてはなりません。
特に今までに増して国王の寵愛を獲得しようとする時には、巨額の金が必要になります。

所が金炳国(きむぴょんごく・国王の義兄弟)は、幾つかの官職をかなり高く売り、
朝鮮人参の専売権を引き受けたのだが、それでも尚必要とされるすべての人々に富を行き渡らせて、
地位を買収するだけの金を得ることができなかったのです。
昨年の真冬に、金炳国のおかげで多くの地位と富を得た1人の男が金炳国を訪ねてきて、
「最高権力を握りたいとは思わないですか」と尋ねたのです。
「答えるまでもないでしょう。しかしそれを得るためにはとにかく金がいるのというのに、
私にはそれがありません」と国王の義兄弟は答えました。
「それでは私に王国の南部地方の租税を徴収する職を下さい。
そうすれば必要なお金を手に入れて差し上げましょう」「よろしい」と大臣は答え、
すぐさまその男の指示に従って対策を講じたのです。
南部地方の租税は主に米で、それは海路を通じてソウルに運搬されていました。
くだんの男はこれらの米をみんな集めて船に積み込み、中国まで運搬し、
朝鮮で売る4倍の価格で売りさばいたのです。
帰国した彼は租税に必要な米を再び買いととのえました。
こうした値段の差額によって、国王の義兄弟は、
宮中にあふれている一群の宦官と侍女の支持を一手に獲得することができたのです。
そして彼は自分の競争相手を罷免し、すべての権力を独占しました。
いかなる穀物を輸出しても、それは極刑にかけられる犯罪になります。
ましてや王室の維持費のために徴収された米を売るものは許し難い国事犯なのです。
この密輸出が原因となって、とうとうこの年は幾つかの道にとっては深刻な飢えの年となったのです。
しかし彼にとって何の関係があるでしょう。
彼が権勢を得、豊になった以上、誰が彼の行状を問い正そうとするでしょうか」

923 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:04 ID:XR/6hw9g

6.2.奴隷

韓国誌  319頁

「又個人的随意契約により若しくは父母に売られて奴隷となるもありて、
世襲奴隷と一時的奴隷とはその間厳重なる差違を存し、
世襲奴隷の子女は常に奴隷となり、
主人の承諾を得るにあらざれば絶対的にその自由を回贖するを得ざるも、
一時的奴隷の子女は多くの場合において解放せられ、
その奴隷自身も犯罪により奴隷と為りたるものを除くの外は、
主人の意に反すとも一定の金額を納めて自由の身となることを得るなり。

世襲奴隷は常に全く主人の専有物と見なされ、
主人は之を売買し、貸与し、贈与しその他すべて随意に之を処分することを得。」

924 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:04 ID:XR/6hw9g
7.取り調べ、監獄、

シャルル・ダレ  112−114頁、118−119頁、122−124頁

「ある日1人の若い常民が、両班の子弟と喧嘩している内に、誤って斧で脇腹を一撃して殺してしまった。
殺人犯である常民は、即座に捕らえられ守令の前に連行された。
証人の中には被害者の父親もいた。
一言二言三言訊問した後、守令は斧を持ってこさせてその父親に手渡し、
縛られたまま地面に倒れている殺害者を指さしながら、
「こやつが、どのようにお前の息子を打ち殺したか、見せてみよ」と言った。
守令はその父親に犯人をその場で殺害させ、煩わしいこの事件から早く逃れてしまいたかったのだ。」

「大きな邑には、捕卒から報酬を受けている盗賊の頭目が数人いつもおり、
人々が彼らの行為に耐えられなくなった時か、
守令がいつになく強い脅しをかけた時に、法廷に突き出されてくる。
彼らを逮捕する時にも、比較的軽い犯罪については合意が出来ていて、
それから捕卒が告発し、被告が是認する。重大な問題に関しては、
すべて堅く沈黙が守られ、真犯人が自分の犯罪に対してそれ相応の懲罰を受けるようなことは稀である。
のみならず政府は必要なときに備えて大胆で図太い補助者を自らの手元に確保しておくため、
世間に名の知れた数多くの泥棒を自由にさせておく。」

「許されている拷問が、未だ数多く残っている。次に主要なものを挙げてみよう。(詳細省略)
1.棍杖(長さ1.6−2メートル、幅20センチ、太さ4.5センチ位の棍杖で殴る)
2.平棒、笞、棒杖
3.骨の脱臼と屈折(3種類ある。その内の1例は、両膝と両足の親指を縛り、その間に2本の棒を入れ、反対方向に引っ張る)
4.吊り拷問
5.鋸拷問或いは足の鋸引き
6.3稜杖(木製の斧若しくは鉞で肉片を切開する拷問」 


925 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:04 ID:XR/6hw9g
マッケンジー  27ー28頁、33頁、79頁、119−120頁

「監獄は呪詛の的となり、拷問は自由に行われていた。
周期的な監獄清掃に際しては一時に数十人の囚人を絞首してしまい、裁判は売買された。」

「罪人たちがその首をはねられた後、鳥や犬に食わせるよう野っ原に放り出して置かれるのを見て、不快感を抱いたこともあろう。
更に彼はしばしば行われた囚人に対する拷問や笞刑の光景を見て全く嫌になってしまったこともあるだろう。」

国王のロシア大使館逃避後。
「第2の詔勅が天下に公布され、兵士たちに自分たちの国王を守り、謀反の首謀者たちの首をはねて国王の所にそれを持参するよう呼びかけた。
この詔勅は集まった群衆の怒りを最高潮にかきたてた。
大群衆が前閣僚たちを殺害しようと捜し求めた。
2人の大臣(前内閣総理大臣金弘集と前農商工部大臣鄭秉夏の2人)が街路に引きずり出され、残忍きわまる方法で殺害された。
その内1人は首の後ろから耳の前にまでわたるひどい深傷を負っていたが、群衆はその彼が倒れるとき猛獣のような大きな歓声を張り上げた。
群衆はその死体に向かって石を投げつけ、或いは踏みつけ、又或ものはその四肢をずたずたに切り裂いた。
1人の男は自分の小刀を抜きはなって、死体の一つの内股の肉を切り取り、その肉片を自分の口に入れながら、
群衆に向かって「さあ!奴らを食おうではないか」と叫んだ。」

926 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:04 ID:XR/6hw9g
同胞韓国人は嘘つきばかりである。私はそのことが恥かしく、情けない。

「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。馬鹿を云うな。
韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。

「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。馬鹿馬鹿しい。
同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。ごくごく一部の
抵抗はあったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとしたのだ。

「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」にいたっては呆れてものも言えない。
誰も日本からの独立など望んでいなかったのにアメリカに強制的に独立させられたというのが真実だ。

「漢河の奇蹟」だって!笑わせる。
日本から賠償金という名目で莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。
これだけお膳立てしてもらえばどんな未開民族でも経済成長するだろうよ。

「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。
一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」なるものがあったのか。
併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。

現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。
虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。
このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足している
本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。
これが恥でなくてなんであろうか。

927 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:05 ID:XR/6hw9g
 考えてみると、われわれは苦労するためにこの世に生まれてきたようなものだ。
四千年を越す歴史で今日まで太平の世を知らない。はるか古代はいざ知らず、
三国時代以後は文字どおり一日も安らかな日がなかった。試みに三国時代以後の
戦争の回数をみると百を越える。内乱を除いて資料に残る他民族の侵入だけでも
五、六十回に達し、その中で全国的におよんだものが三十回にもなる。そして
そのすべての戦争が、高句麗が戦ったいくつかを除いて、みなわが領土内で
行なわれたし、最初から最後まで防戦であった。敗けた戦いである。
昔から城下の誓いは恥だといわれる。戦いをし講和条約を結ぶなら
よその地に行って結ぶべきで、わが城の中で結ぶなら敗けたのは明らかだ。
外国軍の占領下で条約を結ぶというのは、弱点を握られていることではないか。
恥ずかしいことだがわが国の歴史をみると、城下の誓いでないものは一つもない。
『苦難の韓国民衆史』(咸錫憲著)
http://homepage1.nifty.com/fujikikaku/koreawind/Ham%20Sok-hon/kunan035_01.htm


928 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:05 ID:XR/6hw9g
    弱いものは徹底的に苛め抜く!これが韓国の歴史である!

<動物がひどく苦しがっていることが判ときでさえ、一般の朝鮮人はまったく、関心
を示さない。道路に病気になった猫や犬や、けがをした鳥などがいると、子供も大人
も老人も手に手に棒や石を持って、この哀れな動物をいじめ殺してしまう。>

      アメリカ人 メソディスト派宣教師 ホーマー・B・ハルバート


929 :これが歴史の事実だ!:02/07/15 20:06 ID:XR/6hw9g
 ところで、この場合われわれが考えなければならないことは、わが民族には文化を
破壊する習性が強いということだ。戦争によって偶然にあるいはやむを得ず失われる
こともあろうが、いちど局面が変わると、以前のものは余すところなくばっさりとな
くしてしまおうとする習性がある。

 慶州に行けば太宗[新羅]武烈王碑というのがある。支石と題字の部分は残っているが、
肝心の碑文はなくなっている。のちの高麗朝にいたってわざと消したのである。その
ような例は他にもある。伝わる話しによると、金富軾(キム・ブシク)は『三国史記』
を書き終わったあと、参考にした古い記録をすっかりなくさせたという。それで、わが
国本来の精神、思想のおもかげは失われてしまった。金富軾はもともと中国崇拝主義者
であったので、彼の目には、わが国の古くからの言い伝えや考えがみな俗っぽいものに
しか映らなかったのだろう。それで、こういうものを恥と思って全部を漢文式に直して
しまい、古くから伝わるものをことごとくなくさせた。
『苦難の韓国民衆史』(咸錫憲著)

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